ウォーキングデッド再開から海外ドラマ愛が止まらない。

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ウォーキングデッド

先日から放送が再開されたウォーキング・デッド シーズン8。
前回の記事「ウォーキングデッドシーズン8放送開始!寒い夜はオンデマンドで映画&海外ドラマ三昧」を書いてから現在3話目が終了しました。

放送開始から観ているので、かれこれ7年ぐらいゾンビに取り憑かれているわけですが(笑)、毎週月曜22時のウォーキングデッド1時間が一週間の楽しみで、それ以外の日はウォーキングデッドのための日と化しています。生きる希望、生きる意味と言っても過言ではありません。

ここで読んでくださっている方は興味ない話だとは思いますが、僕と海外ドラマの馴れ初めを記事にしたいと思います。しかも2回にわけて。お付き合いいただけると幸いです。

「日曜日は日曜洋画劇場を観る日とする」

我が家では昔から日曜洋画劇場を家族で観るという風習がありました。
大喧嘩したばかりの父と母も、実家の離れた歳の離れた兄も、ビーバップ世代でヤンチャな兄も、日曜日には実家に帰ってきては日曜洋画劇場を観て一週間が終わる。というのがルーティーンでした。

幼少期の僕には淀川長治さんの「さよならさよなら」がこの世の終わりのように聞こえて、結果的に小学生の頃から月曜日はブルーマンデーという。笑

そんなこんなで邦画や日本のドラマにあまり興味も接することもなく過ごしてきてしまいました。
(日本のドラマでまともに観たのは「29歳のクリスマス」が最初で最後。今でも大好き。)

止まらない海外へのあこがれ

小学校の頃から好きな俳優(芸能人、アイドル)は「ジェームスディーン」と答えてしまう海外かぶれの田舎者の少年でした。
周りとも壁があるわけではないけども、なんだか話も合わず(当たり前)。

そのまま中学校に入学し、衝撃的な出会いをします
当時、新卒の副担任で英語教諭だったファンキーな女教師H先生。
茶髪でピアスをして服もおしゃれで・・・きっと色々アウト。笑

生徒に好かれる先生は、先生方には嫌われます。
H先生も生徒から見ても教員達と馴染めず、授業がないときも職員室にいることはなく、オープンスペースで本を読んでたり、暇になるとコソコソっと授業を覗くような先生でした。

まだ12、3年しか生きていない小僧ながらも「この人と話めっちゃ合う。きっと向こうもそうに違いない。」と、文字にするとだいぶイタイ(笑)想いを抱き、でもそれを先生も悟ってくれいたようで、事あるごとに映画や海外、人生の話をするようになりました。

そこそこ荒れていた中学校でしたが、突然H先生が学校に来なくなります。
「え!?やっぱりいじめられて辞めた!?」「地元帰ったって聞いたよ???」「こんな急に!?」
真実を告げられずざわつく生徒達。笑

僕も真実は知らされてなかったのですが、ある日家のポストに見慣れない小洒落たポストカードが届きました。

「なんだか色々疲れてしまってフランスに来てます。すごくいいところだよ。永住したいぐらい。KENTもいつかおいで」

と書いてありました。今でも鮮明に覚えています。

フ、フランス行ってたんかい!!!笑

加速する洋画海外かぶれ

どういう経緯があったのかはわかりませんが、体感的に半年後ぐらいに帰ってきてくれたH先生。
帰国後も先生の授業はとにかく自由で、ラジカセ抱えて教室に入ってきたかと思えばカーペンターズを聴くだけ。とか「今日は(も)視聴覚室で授業しまーす」と言えばただただ映画を見る授業。
カラーパープル、シザーハンズ、天使にラブソングを・・・
とにかく映画や海外の文化を近くに感じさせる授業(?)をしてくれました。

その影響もあってか、洋画劇場の吹き替えでは満足できなくなり、今となっては違法ですが、レンタルビデオ屋の同級生にビデオを借りてはダビングをしてテープが擦り切れるまで映画を観まくるようになりました。
雑誌も買うのはSCREENとか映画関係の雑誌ばかり。
服も西海岸のストリートの若者が着るような服ばかり選ぶように。
(オーバーオールを腰履きして、キャップを斜めにかぶって、ごついバッシュとか。今考えるとそこそこダサい)

僕の田舎では生徒の1%ぐらいが学区外の高校へ進学します。
僕も学区外組でした。吹奏楽の関係で私立の高校から推薦をいただいていたのですが、どうしてもギリギリ入学できるかどうかの公立の高校の吹奏楽部に入部したかったことや、金銭面での負担も考え、私立は面接と簡単な試験だけで済むのに「うちと◯◯高校どっちに行きたいの?」という質問に「◯◯高校です。ピシャリ」と答えた僕。アホですね〜

海外行けばいっしょ、なんも

当然、推薦をくださっていた高校は不合格となり、先生達は誰の目から見てもパニック状態でした。笑
「高校は留年しても行ける。諦めるな。」「お前の精神力なら高校に行かずに専門的な知識をつける方法もある!」
中には封筒がはちきれんばかりの手紙をくれる先生も・・・

い、いや、まだ公立落ちてない・・・

”すべり止め”の私立が落ちた落胆ぶりに僕もそれなりに凹んでいたんですが、H先生だけは違いました。

「KENTが行きたかった海外のチャンスじゃん。第一希望落ちたら海外行けばいっしょ。ただそれまでは頑張りな」

H先生の言葉で狂ったように勉強・・・はしてないんですが、学区外受験の難関を乗り越え無事に希望していた高校へ進学することができました。

H先生は短大だったので当時22歳ぐらい。
22歳はだいぶ前に過ぎてしまいましたが生徒にそんなアドバイスできただろうか・・・

H先生も転校してしまい、疎遠になってしましたが、20年以上の月日が経っても尊敬する先生です。

高校進学後も大学進学の第一希望は英文学科で、高校でも国際情報や英語を学ぶことになりました。
一番好きだったのは倫理や世界史で世界を旅しているような気分でした。

肝心の英語ですが、ヒアリングはできてもグラマーが全然ダメでした・・・笑

次回につづきます

 

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Posted by KENT